大判例

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東京高等裁判所 昭和51年(く)239号 決定

少年 M・T子(昭三六・五・二一生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、少年作成名義の「抗告書(理由)」と題する書面記載のとおりであるから、これを引用し、これに対して、当裁判所は、記録を調査し、当審における事実取調の結果に基づき、つぎのとおり判断する。

一  少年は、昭和五一年二月ころまではさしたる問題行動にでなかつたが、その後不良交友、無断外泊、家出、喫煙、怠学、同級生Cとの不純交友などの原決定記載のような非行を重ねたため、同年五月一一日千葉家庭裁判所で観護措置決定を受け、千葉少年鑑別所に収容された。少年は、中学校最後の修学旅行が同月二七日から同月二九日までおこなわれるため、それに是非参加したいということであつたので、同月二四日同裁判所で観護措置決定を取消された。そして同年六月一日試験観察決定を受け、家庭裁判所調査官の観察に付せられた。しかし、少年は、その後一週間位自宅に落付き、持つていた化粧品を処分したり、家事の手伝いなどをして反省の情を示していただけで、再びCや素行不良な友人らと共に家出をするようになり、そのあげく、同月二四日ころから同年九月上旬まで母に無断でCと横浜市内で同棲生活を送るようになつたのである。

二  少年は、意志が弱く、持続性に欠け、物の考え方が自己中心的で、言動に表裏があり、自己顕示性が強く、これらの点が少年の性格についての主な問題点である。

三  少年は、幼少時に父母が離婚したため、母の手で育てられ、その後母が再婚したため、義父、母、弟と共に生活するようになつたが、少年と義父との間は、両者の性格の相違もあつたりして必ずしもしつくりしていない。現在少年の母は、義父と別居中で、少年は、母、弟と共に母が賄婦として稼働している会社の寮の一室で生活している。母が勤務中は少年は放任された状態にある。

四  保護者である少年の母は、少年の度重なる家出に手を焼き、少年の指導監督に全く自信を失つている。

五  以上一ないし四の少年の行動歴、性格、環境、保護者の保護能力などを綜合し、且つ千葉少年鑑別所作成の昭和五一年九月一六日付鑑別結果通知書記載の収容保護を相当とする旨の判定をしんしやくすると、少年の義父や母が少年の純潔を疑いその検査を強いて受けさせたことが昭和五一年二月二二日から同月二七日までの少年の家出の原因の一つになつていることや少年が自らCとの同棲生活をやめ横浜から戻つてきたことなどを考慮に入れても、少年の非行反覆の虞れは甚しく、これを取り除いて少年の健全な育成を期するためには、とうてい在宅保護の措置では足りず、少年を少年院に収容して規律ある生活をさせることが必要であると認められる。これと同趣旨の理由により少年を初等少年院に送致した原決定は、結局相当である(なお、当裁判所としては、少年院収容の期間は短期間で足りるものと思料する)。論旨は、理由がない。

よつて、本件抗告は理由がないから、少年法三三条一項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 東徹 裁判官 石崎四郎 佐藤文哉)

原審決定(千葉家 昭五一少六三二号 昭五一・九・一七決定)

主文

少年を初等少年院に送致する。

理由

事実

少年は、千葉市立○○中学校三年に在学中のものであるが、昭和五一年初め頃から怠学するようになり、同年二月一四日、数名の者と船橋市所在○○コーポの一室に無断外泊し、同所でシンナーを吸入していたA、Bらと共に警察に補導されたり、その後も同月二二日から二七日まで、同校の三年生Cと家出し、自室にシンナーの臭いがしたため、これを母親に詰問されるや、その夜(四月二七日)から五月一〇日までの間、断続的に家出を繰り返すなど、保護者の正当な監護に服さず、また、怠学、化粧しての登校、学校の便所で喫煙、Cと深夜まで徘徊し、同人の自室や旅館で性交渉を持つなど、自己の徳性を害する行為をなす性癖を有する者で、その性格、環境に照らして、将来、家出中金銭に窮して窃盗や毒物劇物取締法などの犯罪を犯すおそれのある者である。

適条

少年法三条一項三号イ、ニ。

処遇理由

一 少年は、S・R、M・Y子の長女に生れ、昭和四〇年両親が離婚(母と同居、親権者)、昭和四三年、母、M・Kと再婚(継父、異母姉と同居)昭和四六年、母、継父別居、などの事情を経て現在、母、祖母、弟と同居している。このような事情から、小、中学校を各一回転校するなど、その境遇には同情すべきものがあるが、少年の性格は、陽性で社交性に富み、家庭内での葛藤もなく、転校先での友達を得て比較的落ち着いた生活を送つていたことが認められるが、総じて自己中心的で感情の起伏が厳しい少年である。

二 昭和四九年九月、母の勤務の関係で○○中学校の一年に転入し、翌五〇年四月、二年に進級するまで問題行動もなく過したが、二年の同級生に同中学校の素行不良者D子がおり、同女との交際を深めてから、服装が乱れ、同女ら女子の不良者と共に行動して怠学を始め、同年一二月、D子らが同中学校のA、Cらを中心とする男子の不良者と交際するようになつてから、更に化粧したり、深夜まで盛り場、公園、友人宅などを徘徊するなど生活態度が全般に乱れ、母は寮の賄婦をしていて登校、帰宅時には不在がちで、監督が十分でなかつたこともあつて、その行動を規制する者がおらず逸脱傾向を深めていつた。

三 そして、昭和五〇年二月一四日、家から一万二、〇〇〇円を持ちだして、D子と共に、判示の如く、船橋所在の○○コーポでA、Bらと無断外泊し、そのことで、母に純潔を疑われ、継父からその検査を受けさせるなどしたため(この頃継父は少年を一回殴打する)、感情的な対立を生み、以来忠告に耳を貸そうとせず、対話も欠いた状態となる。このため、同月二二日に家出して、深夜秘かにCの自室に泊つて、最初の性交渉を持ち、翌日から二七日までCと共に家出し、Cとの個人的交際を深め(以来性交渉を持つ)、Cが当裁判所で鑑別所に収容のうえ、三月一六日から試験観察となつても、その後も二人は深夜喫茶店や公園を深夜まで徘徊し、家出こそないが、不純異性交遊を深める傾向にあつた。その後、昭和五一年四月、三年に進級したものの、学習意欲に乏しく、怠学が続き、登校しても化粧したり、便所で喫煙するなど学校生活を逸脱し、相変らずCの自室に無断外泊したりで、四月二一日、双方の親が集まり、少年らに生活態度を改善して学校生活に適応するよう約束させたが、少年は、同月二七日、判示の如く、母がシンナー吸引の疑いをかけた(吸引していたと認められる)ことに反発、同夜から五月一〇日まで断続的に家出し、この時は、行きずりの女性のアパートに泊つて、同女の仲間と深夜まで喫茶店、ゲームセンターなどで遊興し、約束は全く守られなくなり、保護者も少年の行状に困惑し、その監護に自信を失なうようになつた。

四 このため、少年は、本件ぐ犯事件により、五月一一日、当裁判所で鑑別所に収容のうえ、同月二四日から試験観察により、その行動を観察することとなつた。

しかし、六月八日には、家族との間にはさしたる対立もないまま、家出中の他中学校の生徒らの誘いにより、Cと共に家出し、同二四日、銚子署に保護されるも、少年院などの収容を嫌つて翌日からCと逃走し、九月六日まで家出するに至つた。また、この間、上記生徒らが、資金を車上盗などで得ているのを知つても、同人らと行動を共にし、四月二五日からは、横浜市内でCがバーテンをしながら同棲生活をしており、そのぐ犯性は深刻なものになつている。そして、二人は、九月二日、学校に戻つて学校生活を続けたいとの気持から千葉に帰つてきた模様であるが、同棲中の生活は極度に苦しく、早晩その破綻は必定で、少年は、千葉に一旦帰つたものの、自宅に戻らず、数日を横浜市内の知人のもとで過すなど、その反省に真摯な態度が認められず、保護者の保護能力も限界にきていて、他に強力な保護資源のない現在、緊張の持続が難かしく、家出癖を有する本件少年に対し、社会内処遇によつて矯正、改善することは困難であり、また、開放化の進んだ短期処遇では、逃走のおそれが強く、その場合、再収容をおそれて自宅に戻らず、逃避的生活を送る危険が高いことや、少年は義務教育未終了者であることも考慮すると、少年を初等少年院に収容して、専門家の指導のもとに規律的な集団生活を通して、義務教育課程を終了させ、且つ、健全な倫理感と緊張の持続を涵養することが、少年の将来に最適であると思料する。

よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条により、主文のとおり決定する。

参考二少年M・T子作成の抗告書(理由)

私は昭和五十一年九月十七日千葉家庭裁判所○○裁判官により初等少年院送致の決定を受けましたが左記の理由により処分が著しく不当と考え抗告します。

理由

私は六月七日ごろから九月五日まで同じ年のC君という男の子と二ヵ月ぐらい家出していました。

でも私たちが家へ帰つて来た理由はこのままの生活では、自分自身がどんどん悪くなつてしまう、私や弟のために働らいてくれている母に一番心配や苦労をかけてしまつた。家庭裁判所の先生たちにも、うそをついてしまい同じことを二度くり返してしまつた。それに家出している時に、テレビなどで「家出少年少女」のテレビなどを見ていて、その少年少女の両親がほんとうに、しんけんになつて心配している様子などを見ていると、自分の両親も、あのテレビに出ている父母と同じような気持なんだと考えたりすると、ほんとうに私のことを毎日一分でも一秒でも私のことを心配してくれている母がかわいそうになつてしまいました。母は私の小さい時から弱い体で女手一つで私を育ててくれた。そんな母に、ほんとうは感しやし親孝行しなくてはならないのに、反対に親不孝してしまつた。こんなことを毎日考えていると私は母がかわいそうになりそれに自分自身がなさけなく思つて来ました。そして家庭のありがたさ両親のあるありがたさを知りました。それに私は十五歳、私たちには将来というものがある。中学校中退では仕事する場所もない。私たちはこのままの生活では、ほんとうにだめな人間にひかげで生きなければならないこそこそした人間になつてしまうと思いました。

だからそんな人間にならないために立ち直るのなら今だと思つたのです。

それに家に帰り母にも安心してもらい親孝行しようと思いました。そして家に帰り今まで通つていた○○中学校に整ちんと行き卒業したいからです。

私は自分から今までの自分の行動を反省し立ち直り千葉へ帰つて来たんだということを回りの人たちにわかつてもらいたかつたのです。だから自分から家庭裁判所にも行き裁判官にも調査官にも今回だけ私を信用してもらい最後のチャンスをもらい家へ帰してもらい学校へ行かせてもらおうと思いました。

でもその結果は本当に私の思つている気持をわかつてもらえず信用してもらえませんでした。

このようになつたのも私自身が一番いけないのですが、今回のことは自分自身から反省し立ち直り自分から家へ帰ろうと思い帰つて来たのです。

だから私もこの気持を裁判官にも調査官にも信じてわかつてもらいたかつたのです。この私の気持もほんとうに反省したんだということも聞き入れてもらえなかつたようです。

だから私はもう一度この気持をわかつてもらい私のにとをほんとうに信用してもらい家に帰してもらいたいのです。

私が自分から反省し立ち直り帰つてきてもう一度一からやり直そうという気持心をみとめてもらいたいのです。

事実経過及び家裁調査官等の意見

昭和五一年五月一一日 観護措置決定

同月二四日 右同取消決定

同年六月 一日 試験観察決定

(当時の少年鑑別所の意見は在宅保護専門、家裁調査官の意見は保護観察)

同年九月 六日 観護措置決定

同月一七日 原決定

(当時の少年鑑別所及び家裁調査官の意見はいずれも初等少年院(短期処遇)送致)

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